母の歴史と私 3 京都編2

・・・と、私も色々心配をかけましたが、私だけではありません。
母もです。


会社主催の“まつたけ狩り”に行った時の出来事です。
グループに分かれて行動するのですが、私は父と母と秘書さんと4人で松林を登りました。
斜面のまつたけを採っていると、突然母が視界から消え・・・
なんと斜面を丸太のように転がっていったのです。
その当時、母はふくよかで、なぜだかまつたけ狩りなのに着物を着ていました。
コロコロコロ。。。どこまで転がるのか。。。
私は怖くて心配で、泣きながら「お母ちゃん お母ちゃん お母ちゃ〜ん」と叫びました。
すると大きな松の木にズドンとぶつかり、それで止まったのです。
私には長い距離のように思えましたが、7〜8mだったそうです。
着物を着ていたのが良かったようで、怪我ひとつなくケロッとしていました。
漫画みたい!笑い話になって良かった〜。
そして母は、その後の野外での“採れたてまつたけ入り鶏すき鍋”をバクバク食べていたのでした〜。。。
母は強し、大いなる食欲!


また、交通事故にも遭いました。
母は買い物帰りで家の近くを歩いていた時に、軽トラックがなぜだか母に向かってきました。
母は避けるために塀に身を寄せたのですが、コントロールが出来ない運転していた若者は
どんどん母に向かってきて、母は壁と軽トラックに挟まれてしまいました。
スピードはあまり出てなかったようですが、勿論救急車で病院へ。。。
学校から帰った私は、すぐに病院に駆けつけたのですが、手も腕も胸も包帯でぐるぐる巻き。。。
顔も腫れていて、肋骨も腕も指も骨折でした。どうしよう!怖くて心配で、オロオロしていました。
暫く入院していましたが、無事退院して普通に生活が出来る様になり、ホッ!


また、何だか小さな怪我や手術で入院をしていたことが2回程あったと記憶しています。
病院ともお友達になっていましたね(笑)。
父は忙しい中、毎日欠かさずお見舞いに行っていたのです。やはりラブラブ。。。
私はといいますと、病院に行くのは母の無事な笑顔と皆様から頂いたお見舞いのフルーツやお菓子が目当てでした〜。
ある病院で病室が畳のところがありました。その横に小さな台所のようなタタキが付いていました。
そこに何故?潰れた葡萄がいっぱい入っている一升瓶を見つけました。良い香り。
食べるものに好奇心旺盛の私はコップに中身を注ぎ、ゴクリ!甘い♪ウマイ♪もう1杯・・もう1杯・・・
気が付いたら、“真っ赤ッカーのヨイヨイヨ〜イ(?_?)♪”家族もお見舞い客も大慌て!
自家製インスタント葡萄酒だったのだ〜!!!時効ですよね。


京都での最大の出来事は。。。
大雨が降っていたある晩、父は遅くなる予定でしたので、母と三姉妹は先に晩ごはんを済ませました。
母は台所で明日の準備をしていて、私達はリビングのTVで“タカラズカ”を見ていたのです。
すると父が予定変更で帰ってきました。晩ごはんもまだなため、母はすき焼きを作ろうと電話でお肉屋さんに注文。
間もなく、玄関がガラッと開きました。父が帰ったすぐ後でしたので鍵を閉めていなかったのです。
勝手口じゃなかったので不思議には思ったのですが、お肉屋さんだと思った母は玄関の方に行ったら。。。
なんと!!!ずぶ濡れの男が左手に出刃包丁を持って立っていたのです!
二人とも震えています。
「金を出せ!」・・・
ウッ・・「あなた!あなたー!!!」母の尋常じゃない声です。
リビングは玄関の横。
私達はドアを開けて飛び出そうとした所を「出ちゃダメ!」と母の大声。
私達は恐ろしくて恐ろしくて、リビングのソファーの後ろに隠れました。
父が飛んで来ました。
三段程下のタタキにいたその男と上から見下ろす大柄の父。
「金を出せ!」震えて言います。
両腕を腰に構えた父は「おまえにやる金はない!」と怒鳴る。
それでも引かない男。。。
父は一歩前に踏み出す。
男は後ずさる。
戦争経験のある父は、肝っ玉が据わっている。強い!
父は二千円を渡し、「これをやるから帰れ!」と。。。
男はお金を握りしめ、慌てて帰って行ったのです。
段々落ち着いて来ていた私達はソファーに隠れるのをやめて、この様子をドアーの隙間から時々覗いていたのでした。
父はカッコイイ!母も気丈!今なら刺されていたかも知れませんね。
それから警察が来て、大変でした。
なぜだか新聞社も来て、私達の写真を撮ります。
その当時、女優になりたがっていた小3の一番上の姉が「凄く悲しそうにしよう」と。。。
でも本当に怖かったのですから。。。
私達は打ちひしがれた表情の写真を撮ってもらい、翌朝新聞にその写真が出ました。
新聞社が幾つか撮った写真をもらいましたが、

「凄く悲しそうにしよう」と、言い出しっぺの女優志願長女が、なぜだかうっすらと微笑んだカメラ目線???
結局、犯人は左利きだったため、左にあった壁にも手を付かなかったので指紋も採れず、
なかなか分からなかったようです。
何週間かしてそれらしき人が現れたので、母は“面通し”に呼ばれたのですが、
怖くて、やはりハッキリとは分からなかったそうです。


このカッコイイ父のエピソード。
父はスクーターを買いました。家の近所を乗り回していたのですが、ヘタッピです。
でも好奇心が強い私は、どうしても後ろに乗りたくてお願いしました。
何かゆらゆらよろよろ。。。
挙げ句の果て人の方向にダッダッダー!進んでいきます。
急ブレーキ。。。何で〜???その人はとても綺麗な女性でした。
多分、見とれていたのだと思います。
それ以来乗らなくなっていましたね。


この当時は江上トミ先生のお弟子さんが、ちょくちょく泊まりに来ていました。
母とのお料理談義は幼い私にも興味津々でした。私はこの頃から沸々と料理に目覚めていくのです。


当時、姉たちはバレーを習っていました。その上、私も含めて日本舞踊も。。。
ここでの三姉妹での遊びは、
まずバレーごっこ。長女が先生で、私達2人がバレリーナ
でも先生はすぐ上の姉はお姫様など綺麗な主役で、なぜだか私は召使いの役が多かったのだ。
次は宝石屋さんごっこ。長女が宝石商。すぐ上の姉には綺麗な指輪を。ここでも私には変な色の石の指輪しか売ってくれません。
後はなぜだかバーごっこ。色水を用意し、父のシェーカーやカクテルグラスを拝借して部屋の中がお店で、
外の例のトイレのくみ取り口横がお客のスタンドというセット。窓越しにやり取りします。
当然、長女が店のマスターでカッコ良くシェーカーを振ります。そこでも私は変な色のカクテルを勧められるのです。
まったくも〜!でも凄く仲良しで、今は良い思い出で笑い話です。皆さんも経験あるのでは?


京都でも母を頼って人が集まっていました。
人の面倒をよく見ますし、相談にもよく乗っていました。
そして当然、美味しいものを作るとお裾分けをしていたのも大好評でした。
色々あった京都でしたが、すごーく楽しかった。


次は福岡に転勤です。私は小学校2年生の夏です。。。

転勤のお別れは辛いですね。特に親密に過ごした土地では。。。
駅まで会社の方やご近所さんや友達がいっぱい見送りに来てくれて。。。
涙涙のお別れでした。。。